獏原人村の歴史
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■獏原人村の歴史

1974年に学生運動の流れをくむ農業コミューン”ぐるーぷもぐら”が獏に入植。

1975年にマサイとボケが川沿いの元トロッコ道を1時間位歩いてもぐらを訪問。

その時はまさか獏に住むことになるとは思わず近くに別のコミューン谷地原人村を作る。その後いわき市の高部と言うところに入植して高部原人と名乗っていた。

1977年もぐらが獏を去ったので、もぐらのメンバーだったアキラや他の仲間7~8人で獏に来る。この時、獏原人村を名乗る。

高部原人には何人か残り、満月の日には車道を使わずに山の道だけを歩いて行き来しお月見などしていた。

これが満月祭の元かな?

東京のミルキーウェイの大友さん達とサンデイと言う祭りをやる。その頃みんな何時間も歩いて獏まで来てくれた。これが獏でやる初めての大きな祭りだった。

その後大友さん達とドームを建設。

1978年もぐらが建てたプレハブ小屋にみんなで住んでいたが、アキラが去り他のメンバーも同じ村内にそれぞれ家を建て1つ屋根に暮らす生活は終わる。今思えば、部活のようなものだった。

これが現存するもぐらが建てたプレハブ小屋




その後いろいろな人たちが獏を訪れては去り、また暮らし、最大4家族にまで増えていた。

1990年に”いのちの祭り ’88 in 八ヶ岳”に影響を受けて”地球回帰の祭り”をやる。

その後”星祭”という名前でやったり”満月祭”という名前でやったりしていたが看板の書き換えなど面倒だということで”満月祭”に統一する。

2011年の震災で他の家族は避難し、またもマサイとボケだけになるが、満月祭は批判を受けながらも、来たい人がくれば良いということでやった。

空き家になっていた奥の家を三日月荘と名付けフリースペースとして開放。





獏に来た理由は小さな自給自足型コミューンからなる世界をつくることだったが、挫折!

人を自分の理想通りにしようとすること自体が、理想から外れることだということに気付く。

あるとき満月祭で勝手にタブラのワークショップやってる人がいたり、池のほとりから笛の音がしてきたりあちこちで小さな火が焚かれ、そこには作ろうと思って出来なかった村があった!

ずっと求めてきた愛と自由があった!

最初のころのお月見がいつの間にか”満月祭”となりました。

獏はこれからも”愛と自由”の場所でありつづけていきたいと思っています。


■獏写真館

高部原人時代の写真です。


獏に入った年、みんな鍬一本で開墾!


獏で一番最初にやった大きな祭り、サンデイです


1990年にやった祭りです。


2011年震災の年の満月祭、”ずくなし”です。